家型テントの壁にあたる部分のこと。(下図、青色の部分)
ロープのほつれを止めるために、ロープの端のよりをほどいて編み直し加工する方法の基本。
ウォールノット単独ではほつれを止めるという役には立たない。
ウォールノットに重ねてクラウンノットを作り、ウォールノットandクラウンノットにして、さらにそれぞれのロープのよりをもう一度反対方向にくぐらせると、マンロープノットとなり、きれいな形の握り手ができる。
タークスヘッド型の皮製のチーフスライド(ネッカチーフリング)。
ウッドバッジ研修所修了者に限り着用することができる。
これはベーデンパウエルの発案でスカウトのハンドクラフトを意味するものだといわれている。
正式にはギルウェルウオッグルという。
キャンプ工作技術や大自然の中で本当に必要な最低限の道具を使って生活するために必要な技術のこと。 森林の知識や技術のこと。
スカウト用語として広範な森林生活法(野外生活法)のことである。
例えば、測量、追跡、読図、結索法、開拓、動植物、天文、野営法全般のスカウト技術のことを指す。
キャンプ生活のプロであったインディアンは驚くほど最低限の道具しかもっていなかったが、日常生活がそれほど不自由さを感じなかったのは、彼らが優れたウッド・クラフターであった証拠である。
ウッドバッジ実修所修了者に与えられる皮ヒモについた2個のビーズ。
1888年、ベーデンパウエルはズール戦争の時に、セザの酋長ディニズールの小屋の中から1000個以上のビーズからなる3.6メートルもの木の首飾りを戦利品として持ち帰った。
このビーズをマフェキングの包囲戦の時、アフリカの老土人からもらった幸運の皮ヒモに結び付けてウッドバッジを作り、これをウッドバッジコースの完修者に与えたのが始まりである。
これは最初、ベーデンパウエルがギルウェルパークでの実修所の認定に、理論課程(事前課題)と実修課程(実地教程・・7泊8日の野営)の合格者に対してビーズを1個授与し、ボタン穴に着用した。
実績課程(事後課題)を含めた3課程の全てに合格したものにはさらにビーズ1個と修了書を授与し、このビーズは帽子の紐に着用することになっていた。
当初のウッドバッジはディニズールの原物のビーズであったが、またたく間に余分がなくなり、複製することが必要になった。
一説によれば、この複製のウッドバッジはギルウェルパークに多く生えている一本の樫の木から作られているとのことである。
ウッドバッジが前述のように帽子の紐に着用されたのはごく一時期であり、その後は皮紐に通して首から下げ
るようになった。
この皮紐については、マフェキング包囲戦があと数週間で終わるというある早朝ベーデンパウエルが戦線を見回って帰ってきたとき、この日に限って元気がなかった。
年老いた土人が彼の側へ来て、「どうしていつものように口笛を吹かないのですか。」と尋ねた。
ベーデンパウエルは「少し心配事があるのだよ。」と答えた。
年老いた土人はさっそく自分の首にかけていた皮紐を外してベーデンパウエルに渡し「これをおつけ下さい。私の母がくれたお守りです。きっといいことがありますよ。」
これがウッドバッジの皮紐の由来である。
この幸運の皮紐にビーズをつけたものがウッドバッジである。
日本でもウッドバッジ実修所の修了者に授与されるが、ウッドバッジは栄誉をたたえるものではないし、業績に感謝の意を表すものでもない。
また、何かの資格を表すものでもない。これは隊指導者としてある段階の訓練を修了したという世界的に認められた共通のしるしである。
ウッドバッジをつけていることは、スカウト運動の成人指導者として十分な奉仕を提供する用意があり、また現在も奉仕しつつあり、さらに奉仕をより有効にするために自己研修を怠らないよう努めていることを外に向かって表明しているのである。
ギルウェルパークにおいて、実修所のカブコースが開設されたとき、ウッドバッジビーズの代わりに狼の牙や爪が用いられたこともある。アケーラバッジと呼ばれた。1個は完修者用で、2個はアケーラ・リーダー(カブコース実修所の所長)であったが数年でウッドバッジビーズに切りかえられた。アケーラ・バッジは1922年から1927年までの間採用された。
隊指導者(Unit Leader)すなわち隊長のための訓練。
この訓練の教程は世界的に認められた標準に則って組み立てられ運営されている。 日本連盟では基本訓練としてのウッドバッジ研修所と上級訓練としてのウッドバッジ実修所の2段階になっている。
指導者訓練の世界的な方針は1961年(昭和36年)のリスボンでの国際会議でウッドバッジ訓練の国際的基準が定められ、それに従っていれば、ウッドバッジ訓練として認められ、もし従っていなければ認められないということになった。
つまりギルウェルで行っている方法と内容を細部まで世界的に整えることで基準を維持しようとした。
例)ギルウェルコース、日本ギルウェル実習所 また、National Trainer(3ビーズ)やDCC,AkL(4ビーズ)などの 名称やコースのトレーナーの訓練、トレーニングチームのメンバーの設定が示された。 1969年(昭和44年)ヘルシンキでの世界スカウト会議では指導者訓練の方針は次のような段階に組み立てられた。
(1)単位隊指導者の訓練
・ウッドバッジ訓練
(2)各国の国内指導要員の訓練
・国内トレーナーコース(副リーダートレーナーコース:ALTC)
NTC (National Trainer Course)
(3)各国の指導要員の国際的訓練
・国際トレーニング・ザ・チームコース(リーダートレーナーコース:LTC)
ITTC(International Training the Team Course)
以上のうち(1)と(2)は大綱を世界的に共通なものとするが、細目は各国連盟がそれぞれの気候、風土、風習の違いを考慮して適切に定めて実施することができることになった。
また(3)はコースの修了者が各国内で指導者訓練の正統を伝える重要な役割を担うことになるため、コースの細目にいたるまで世界的に統一することにし、世界訓練会議の承認のもとに各地域スカウト会議(日本連盟はアジア太平洋会議に所属)の指導のもとに開設されるようになり、リーダートレーナーの認定だけは、世界事務局訓練部発行の修了認定書によることになった。
さらに1977年(昭和52年)モントリオールでの世界スカウト会議では、世界訓練方針の修正があった。
トレーナーの訓練において、国内トレーナーコースを「副リーダートレーナーコース」、国際トレーニング・ザ・チームコースを「リーダートレーナーコース」とし、コースの概要は世界訓練委員会が作り、内容の細部は各国連盟で開発することになり、修了の認定も各国連盟が行うようになった。
※ ウッドバッジ訓練は、最初、イギリスのギルウェルでの方法を忠実に行うことから始まり、次いで各国の気候、風土により細部がある程度柔軟に展間できるようになり、さらにトレーナーの訓練も各国によって柔軟に対応できるようになった。
隊長のための研修コース。
ウッドバッジ研修所は隊指導者訓練の基礎訓練課程に位置づけられる訓練である。
基礎訓練課程は、ウッドバッジ研修所と安全セミナーから構成される。
上級訓練課程はウッドバッジ実修所という。
加盟員で導入訓練課程(ボーイスカウト講習会、以前のボーイスカウト指導者講習会)を修了した者を対象として、当該部門の隊長としての責務が果たすことができるように、スカウト教育との目的と隊運営の基礎的な方法を修得する。
ビーバースカウト課程、カブスカウト課程、ボーイスカウト課程及び、ベンチャースカウト課程の各部門に区分して開設され、2泊3日の舎営又は、3泊4日の野営で行われる。
(以前はローバースカウト課程が開設されていたが現在は開設されていない。)
隊長として登録するためには、当該課程のウッドバッジ研修所を修了していなければならない。
ウッドバッジ研修所に参加するにあたっては各課程毎に定められた「課題研修」を履修し地区コミッショナーの署名を受けたのち参加申し込みをすることになっている。 ウッドバッジ研修所を修了すると「ウオッグル」を着用することができる。修了記章(胸章)を着用するには安全セミナーを受講し基礎訓練課程を修了する必要がある。、
隊長のための研修コース。
隊指導者訓練の上級訓練課程。
研修所で学んだことをもとに、最低一年間のプログラム展開を経験した隊指導者を対象としており、当該部門の隊長としてのプログラム推進能力を高めるための訓練が準備されている。
参加者が互いに体験を交流して指導技術の改善に努めると共に、スカウト運動の目的と方法の特色と価値を一層深く確信することによって、指導者としての能力向上を図ることを目的として開設される。
ビーバースカウト課程、カブスカウト課程、ボーイスカウト課程、ベンチャースカウト課程があり、
実修所は「第1教程:課題研究」、「第2教程:プログラムトレーニング(3泊4日キャンプ)」、プログラムトレーニング修了後の「第3教程:実務訓練」の3つから組み立てられている。
研修所とは異なり実修所では、「実務訓練」の履修をもって実修所の修了が認定される。
第1教程 ・・・・ 課題研究
各部門で定められた「課題」と共通の「課題」について「研究」を行う。
「課題研修」ではなく「課題研究」なので、取り組んだことを列挙するだけではなく、そのことに対して
自分の考えや意見をまとめるように心掛ける必要がある。
認定はリーダートレーナー(LT)又は、副リーダートレーナーが行う。
第2教程 ・・・・ プログラムトレーニング(PT)
平成24年度までのウッドバッジ実修所で取り扱ってきた「自隊の問題解決」のコースから変わり、7プログラム推進能力の向上に特化したコースになっている。
各部門とも3泊4日の野営で行われる。
第3教程 ・・・・ 実務訓練
実務訓練の課題は、プログラムトレーニングで策定したプログラムを実際に自隊で展開し、評価することにより今後の改善点を見いだし、これらの課題を行う上での保護者や地域社会へのアプローチの実践と報告などがある。
年間プログラムの予定などもあり、すぐに実行に移すことができないことも考えられるので、一年間という
期間が設けられる。
実務訓練の認定は県連盟コミッショナーが行う。
------------ 以下は、平成24年度以前のウッドバッジ実修所に関する記述である-------------------
ビーバースカウト課程、カブスカウト課程、ボーイスカウト課程、ベンチャースカウト課程があり、
実修所は「課題研修」、「基本訓練」、「奉仕実績訓練」の3つから組み立てられている。
(1) 課題研修
各部門別に公表された課題について自分の都合のよい時間や場所で、参考書を利用したり、 団や隊の先輩指導者、コミッショナーや、トレーナーなどの指導を受けて、自己研修するものである。
この課題研修は実修所基本訓練での理解を容易にし、効果的な訓練の展開を図るために設定されている。 具体的には各年度で定められた「課題」について、参考書籍等で研究したのち、文書で回答し、地区コミッショナーの指導助言・閲読を経て県連盟コミッショナーに提出する。
県連盟コミッショナーが認定した後、日本連盟事務局へ送付され、日本連盟より課題研修の履修証が交付される。
(2) 基本訓練
実地訓練の段階 各課程とも5泊6日で全期間野営で開設される。
日本連盟の野営場(那須野営場、山中野営場)で開設されることが多いが、地方開設もある。
この訓練は隊指導者としての疑問や問題点を持つ者が集まり、指導技術の向上に努めると共に、スカウト運動の目的と方法の特色と価値を一層深く確信することによって、指導者としての能力向上を図ることを目的としている。
また、参加者は、単に与えられるだけでなく、自分達の体験を、お互いの研究課題として問題解決に役立てるよう期待されている。
基本訓練(5泊6日) を終えた時、基本訓練履修証が交付される。
通常は基本訓練参加の時「課題研修」課題が返却される。
(3) 奉仕実績訓練
「課題研修」で確かめた知識と「基本訓練」で得た体験を、指導者としての役務の上に、実際に活用することが求められている。
通常は、与えられたいくつかの課題に基づいて、3箇月の実践をふまえて、その経過を記録し、参考資料も添付して、地区コミッショナーを経由して県連盟コミッショナーの指導・認定を経て日本連盟へ提出する。
※ ウッドバッジ実修所修了の認定は、全教程を履修した者について日本連盟教育本部がこれを決定し、ウッドバッジ訓練の修了証が授与され、2個ビーズのウッドバッジ及びギルウェルスカーフの着用が許される。
------------- 以下は、平成2度以前のウッドバッジ実修所に関する記述である -------------------
カブスカウト課程、ボーイスカウト課程、シニアスカウト課程があり、実修所は「第1教程(課題研究)」、「第2教程(実地訓練)」、「第3教程(実践報告)」の3つから組み立てられている。第1教程 ・・・・ 課題研究の段階。
各年度で定められた「課題」について、参考書籍等で研究したのち、文書で回答し、地区コミッショナーの指導助言・閲読を経て県連盟コミッショナーに提出する。
第2教程 ・・・・ 実地訓練の段階。
カブスカウト課程は5泊6日の野営で行われ、ボーイスカウト課程、シニアース力ウト課程は6泊7日の野営であった。
第3教程 ・・・・ 実践報告の段階。
第1教程・第2教程で得た知識・体験を実践し、約4箇月間の実践報告書をまとめ、コミッショナーの指導助言・閲読を経て県連盟コミッショナーに提出する。
ウッドバッジ実修所のいずれかの課程の全教程を修了し、日本連盟からウッドバッジを授与された者。
ウッドバッジャーはスカウト活動において進んで、いろいろな困難な状況の中でも自分の持つ技能を活用し、隊を運営していくことが求められる。
また、通常の隊指導者としての能力と奉仕の上に指導者として、何か一つ、プラスアルファを持っている人であってほしい。
そのアルファは団の中での後輩指導者の相談相手でもよいし、もっと奉仕分野を広くして、地区や県連の各種行事に奉仕したり、指導者訓練コースへの奉仕など、隊指導者としての奉仕にさらに何かを加えることができる指導者であることが望まれる。
ベーデンパウエルが、ボーイスカウト年齢以下の少年達のために作った部門の名称。(現在の日本のカブスカウトに当たる)ボーイスカウト運動が始まった後、ボーイスカウト年齢以下の少年が、スカウト隊のマスコットとして入隊している事実を見て、ベーデンパウエルはこの年齢の少年達のためのプログラムを考えなければならないと思い、文豪ラジャード・キップリングの「ジャングルブック」を基盤として1916年に「ウルフカブス・ハンド ブック(Wolf Cubs Handbook )」を執筆した。
ベーデンパウエルは、このボーイスカウト年齢未満のプログラムの名称を考えるに当たって、ジュニアスカウト、ウルフ・カブ、カブ、コルツ(Colts 子馬)、ヤングスカウト、トラッバーズ(Trappers:わなをかける人)などを考えていたが、ある人はビーバーズ(Beavers) 、ニッパーズ(Nippers:少年)はどうかといった。
日本では1924年(大正13年)6月、古田誠一郎氏により神戸市の須磨に最初のウルフ・カブ隊が誕生した。 日本のカビングはウルフ・カブをもつて出発し、 第1期 ウルフ・カブ時代 第2期 年少部時代 第3期 カブスカウト時代
へと推移していった。
日本では初期の頃「少年団」という名称のため、小学生が少年団としての傾向が強くなり、ウルフ・カブは幼稚園といったように食い違いがみられた。少年団員(ボーイスカウト)は中学生、ウルフ・カブは小学生だと是正するために指導者実習所幼年部課程を開設する運びとなった。
ウルフ(おおかみ)は日本には生存せず、悪の象徴のように思われているため、「おおかみ」に代わる試案が考えられた。
「天狗」が「牛若丸」を訓育するとし、ジャングルブックのストーリーを日本的に置き代える案(1927年(昭和2年)佐野常羽)。
「燕少年」、つばめは日本の少年にも馴染み深く、親子兄弟の仲もよい。カブの二指の敬礼からもつばめがよい。(菅原伝氏)
「狼」をやめ、「シャングルブック」をあきらめ、「年少部」は新しいストーリーとして「山の勇者」をつくり、シャングルブックの日本的改作、いろいろな動物が登場し「阿佐彦」をモーグリに相当させる。「山の勇者」の合作者は三島通陽、春日嘉藤治、吉野順一、菅原伝、戸田和夫であった。「山の勇者」も実際に採用されたのは昭和14~15年であった。
戦後の昭和26年、日本のカビングはアメリカのカブスカウトに準拠することになった。 組織や運営はアメリカ方式をとっているが、ストーリーとして「金太郎」を中心とした「足柄山物語」を創作した。
1916年、ベーデンパウエルがボーイスカウト年齢以下の少年のために著した手引書。
イギリスの文豪ラジャード・キップリングの「ジャングルブック」が背景になっている。
この書物では対象とする年少の少年をウルフ・カブと呼び、世界中にウルフ・カブ(日本ではカブスカウト)が誕生した。
県連盟、各地区に常設される運営委員会には次の委員会がある。
(1) 組織・拡張委員会
(2) 指導者養成委員会
(3) 進歩委員会
(4) 野営・行事委員会
(5) 健康・安全委員会
(6) 財政委員会
※ 県連盟、地区にはこれらの運営委員会以外に特別委員会を設置することがある。
山口県連盟では、以下の運営委員会を設置している。
(1) 総務委員会
(2) 指導者養成委員会
(3) プログラム委員会
(4) 広報委員会
(5) 国際委員会
また、日本連盟には運営委員会に代わる「常設委員会」がある。
日本連盟の「常設委員会」は
(1) 会員拡充委員会
(2) プログラム委員会
(3) 指導者養成委員会
(4) 国際委員会
(5) 広報委員会
(6) 地域貢献委員会
(7) 安全委員会
(8) 財務委員会
の8つの「常設委員会」がある。
→「組織拡張委員会」参照
→「指導者養成委員会」参照
→「進歩委員会」参照
→「野営行事委員会」参照
→「健康安全委員会」参照
→「財政委員会」参照