「奉仕」のこと。奉仕をすること。
「神への務め : duty to God」につながる。
ベーデンパウエルが全スカウトにあてて残したメッセージ・遺言。
この中でベーデンパウエルは、「幸福を得る本当の道は、他の人に幸福を分け与えることにある。世の中を少しでも良くするよう努力するなら、最善を尽くしたという満足感を持って幸福に人生を終えることができる。」と述べている。
カブスカウト隊長ハンドブック、ボーイスカウト隊長ハンドブックにその全文がある。
また、ベーデンパウエルはガールガイド(ガールスカウト) 指導者にも最後のメッセージを残した。
日本連盟発行の「ベーデン・パウエル伝」にすべて記載されている。
県連盟、地区に常設される運営委員会の一つ。
主な役務は県連盟、地区とも同じであるが県連盟の財政委員会の役務を示すと次のとおりである。
(1)年間財政計画と長期財政計画とその推進に関する事項
(2)県連盟の資金造成とその維持及び培養に関する事項
(3)予算、決算に関する事項
(4)その他の財政に関連する事項
日本連盟に常設される委員会の一つ。
主な役務は次のとおりである。
(1)本連盟の財政計画に関する事項
(2)年間事業計画に基づく予算、決算に関する事項
(3)資金造成に関する事項
敷地、用地、場所のこと。
【用例】
キャンプサイト (キャンプ地) 、テントサイト、班サイト
ジャンボリーサイト(ジャンボリー会場)
特に定められた業務を分担するチーム。
タスクチームとも言われる。
【例】
日本連盟トレーニングチーム内におかれる作業チームなど。
作業チームをまとめる作業チーム主任(チームリーダー、チーフ)と若干名の作業チーム委員(チームメンバー、メンバー)からなり目的達成期限内に作業を完了し解散する。
従2位動2等・元海軍少将・伯爵。日本のボーイスカウト運動における指導者道を確立した人。
日本赤十字杜を創設した佐野常民の三男として1871年 (明治4年)7月3日東京麹町に生まれる。
平貞盛と将門を討ち、功により下野・武蔵の両国守となった平安時代の武将藤原秀郷の末裔であり、北条時頼が立ち寄ったとき、大切にしていた鉢の木を囲炉裏にくべてもてなしたという「鉢の木」の話で知られる、佐野源左衛門常世の末裔である。
のち海軍兵学校に入学し、明治35年に家督を継ぎ伯爵となる。
東郷平八郎艦長のもとで砲術長、海軍高等通訳官、ドイツ大使館付武官、戦艦榛名艦長などを歴任。 大使館付武官時代、しばしばロンドンに滞在しボーイスカウト運動を見聞する機会が多かった。
退役後、大正11年、栃木県佐野に唐沢義勇少年団 (後の唐沢ボーイスカウト) を結成以来スカウト運動に尽力するようになった。
55歳の頃、京都の少年団運動の創始者で、五条大橋の近くに薬種商を営んでいた中野忠八氏(後の日本連盟総長久留島秀三郎の実兄)を訪ねて教えを請うたところ、中野忠八は関西弁で「あきまへん、そんな自分が暇になったからというて、えらいさんの遊び仕事にでけるもんやないわ。やめときなはれ。」と言下にこれを断わった。
あきらめなかった佐野常羽は、店舖や表玄関ではなく勝手口から再三訪れ、辞を低くして面会を求めた。
その身分も地位も省みない熱心さに中野忠八も感に打たれ、後にこの二人は意気投合して、日本のスカウティングの指導者養成に協力して、その基礎を築いたのである。
大正13年の第2回世界ジャンボリーに参加し、その後ボーイスカウト国際会議、世界ジャンボリーに日本代表として参加した。
昭和6年には、ベーデンパウエルより、ボーイスカウトの最高栄誉章「シルバーウルフ」を贈られた。この「シルバーウルフ章」を贈られたのは、日本では昭和天皇と佐野常羽だけである。
日本のボーイスカウト運動においては、大正14年、指導者訓練所(のちの中央指導者実修所)を開設した功労がある。 これによって、日本におけるボーイスカウトの指導者道が確立された。昭和29年、日本連盟は「長老」の称号を贈り、翌年には、日本連盟の最高功労章である「きじ章」を贈った。
昭和31年1月25日、86歳で逝去した。
現在、ボーイスカウト日本連盟山中野営場の玄関に、佐野常羽の胸像が建ててある。
また、山中野営場には「佐野広場」があり、佐野記念碑(道心堅固の碑)が建てられている。
第2回世界ジャンボリーに参加した後、日本人として初めてイギリスのギルウェル訓練所に入所し、ここで「弥栄」を披露した。
ギルウェル訓練所所長のJ.Sウィルソンが入所している13箇 国の指導者全員に、各国の「スカウト祝声」をやるように言われたとき、「弥栄」を行い、災いを転じて福となすという意味であることを説明したところ、所長は発声法は日本のものが一番よい。そのうえ哲学が入っていると喜び、以後、この「弥栄」をギルウェル訓練所の祝声とすと言った。
このようにして日本「弥栄」は世界のスカウト用語となった。
ドイツ大使館付武官として赴任する前に、尾上菊五郎丈についてスマイルの勉強をし、これがボーイスカウト運動に入ってからも有名な「佐野スマイル」である。
佐野常羽の残した教えには「無私」「合作の心」「清規三事」がある。
「清規三事」は実践行・精究教理・道心堅固であるが、語学に堪能でありこれを
Activity First,Evaluation Follows,Eternal Spirit と英訳された。
生存技術。生き残りのための原始生活技術。
用例 ・・・・・ サバイバルキット、サバイバルナイフ、サバイバルキャンプ
地形図(1/25,000,1/50,000) の座標読み、磁北線の記入に用いる透明プラスチック製のカード式定規。
分度器やものさしにも使える。 ボーイスカウトやベンチャースカウトの野外活動での読図作業には欠かせないものである。
目作してもよいが、ボーイスカウトエンタープライズで販売している。
古くは指導者が携帯していた杖。ステッキ。1912年、ベーデンパウエルが日本を訪れたとき、Y字形の二股のスティックを愛用していた。
このスティックは二股に親指を掛けることからこの名になった。
佐野常羽をはじめとする、ベーデンパウエル卿に影響を受けていた人々は、那須野の実修所の入所中、周りにある木々を切り刻んで Thumb Stick(サムスティック)の製作に夢中になつた。
自然愛護を重んじるスカウト指導者達が一本だけならと軽い気持ちで生木を切り刻んだものであるから、その凄じさに肝を冷やした佐野常羽は「そんなにみんなで切ってしまったら、那須野の実修所の木が一本もなくなってしまうぞ。」と言ったことがある。
地図記号の一つ。地図を作製する場合の平面位置の基準となる点。
花崗岩の柱石の頂部に十字の刻印があり、正面(通常は正確に南面)に三等三角点などの文字、東側の側面に「国土地理院」の文字が刻んである。 また、周囲に4個の保護石で囲んであるので、比較的容易に見つけることができる。
三角点の等級は、石の大きさからも判別できる。
一等三角点 18cm×18cm
二等三角点 15cm×15cm
三等三角点 15cm×15cm
四等三角点 12cm×12cm
三角点の設置場所は、山の頂上付近(必ずしも山の最高地点とは限らない)、市役所などの屋上、学校など公共性の高い施設にある広場の片隅など、見通しのよい位置に設置されていることが多い。 三角点には「点名」という三角点の名前が付いていて、通常その土地の名称が用いられている。(地図には書かれていない)
三角点の名称と、山の名称は必ずしも一致しない。
「前穂高岳」にある一等三角点の名称は「穂高岳」であり、
「西穂高岳」にある三等三角点の名称は「前穂高」であるなどの例があります。
希にではあるが、三角点の上に「やぐら」が組まれていることがある。これは公共事業などの基本となる測量作業を実施している際に設置するもので、見晴らし台とか信号塔ではないので、昇ったり、揺らして遊んだりしてはいけない。
国土地理院発行の 1/50,000 地形図には三等三角点までが表記され、1/25,000 地形図では四等三角点までが表記されている。
三角点には標高の数字も記入されているが、直接測量による数値ではなく、20cm程度の誤差を含んでいる。
敬礼、スカウトサインをする時の手の形。右手の親指と小指を付けて人差指、中指、薬指の三本指をたてる。
三指を示す理由は・・・・・・
(1) スカウトの三つのちかいを示している。
(2) コンバス(羅針盤)のN(北)にちなみ、人生の方角を我々は指示するという意味。
(3) これを上にあげることは向上をあらわす。
スカウト同志の手紙に「拝啓・・・・・・敬具」の代わりに、手紙のはじめにかく挨拶語として「三指」を用いることがある。 この場合は「三指・・・・・・弥栄」とする場合が多い。
シミュレーションの一種で、適当な視覚用具を用いて、ある種の設計を行う訓練手法、問題解決法のこと。