野外活動中の傷病に対する初期の応急処置、救急法。
外傷、まめ、日焼け、頭痛、腹痛、虫刺され程度の初期手当て。
キャンプファイアーでの火の係(火守り)。
キャンプファイアーの雰囲気やプログラムの進行にともなつて燃え方を加減する係の者。 終わりに近づくにつれて、火を小さく、終わりの歌がすむ頃には炎は消えるというような工夫をする。
しかし、進行中にファイアーキーパーがあまり頻繁に出入りすることは避けた方がよい。
キャンプファイアーでの営火長。
キャンプの経験のもっとも深い人を選ぶ。
普通は野営長がファイアーチーフになる。点火、開会、閉会を宣言したり、短い感銘的な話で皆を引き締めたりするほか、進行係〈Fire Master〉・火守り〈Fire Keeper〉を手元において、全般的な雰囲気を統一する仕事がある。
ファイアーチーフの座席は、地形、風向きなどを考慮して決めるが、一般には北極星を背にして、北側の位置に座る。
理由は、北極星は不変であり、道しるべともなるからである。
キャンプファイアーを成功させるには、ファイアーチーフの人格がスカウトに働きかけて、情熱と興奮をかきたてる大きな力となることが必要である。
「ワイドゲーム」と同義語。
【 ワイドゲーム 】
野外で行う大規模なゲーム。 古くは「断郊ゲーム」とも呼ばれた。
ワイドゲームの最も簡単なものは「探偵ごっこ」、「陣とり」、「宝さがし」のような少年の頃の遊びを洗練し、スカウトらしい刺激とルールを加えたものであり、冒険とロマンを提供し率先指導の精神を伸ばし、スカウト技能の向上と身体的な適応性を増進させる効果がある。
号笛信号。
号笛(ホイッスル)を用いて行う合図。
用 例 〈 長一声 ---- 、 短一声 ・ 〉
全員集合 ---- ・ ・ ・ ・
気をつけ ----
班長集合 ---- ・ ----
体め ・ ---- ・
注目 ・
危険 ---- ---- ----
( ※ 自隊で独自に笛の合図を定めている場合もある。)
指導者の「定型訓練」のこと。
指導者講習会、ウッドバッジ研修所、ウッドバッジ実修所、団運営研修所、コミッショナー研修所、コミッショナー実修所、副リーダートレーナーコース、リーダートレーナーコースがある。(以前の団委員長特修所、ビーバー隊長特修所、コミッショナー特修所も定型訓練であった。)
これらのコースの内容は細部にわたり日本連盟で定められており、それぞれのコースを修了したものは「指導者訓練修了章」を着用することになっている。
社会的に興味のある問題を取り上げた公開討論会のこと。
フォーラムの名称は古代ローマにあった集会用の広場の名からとったものであるといわれている。
資料として映画やスライドを上映し、それを題材として討論するフォーラムを「フィルムフォーラム」という。
20歳以上(ローバー隊は25歳以上)で、指導者講習会を修了し、スカウトの訓育を託するのに足る品性と経歴を有する者。
隊長を補佐し分掌を命ぜられた任務を行う。
隊長と同様、各種の指導者訓練に参加して自己研修を行うことが望まれる。4個以上の班(組)をもつ隊は2名以上の副長を有することが望ましいとされている。
赤い羽根のついた帽章を着用する。
平成元年までは副長の年齢は21歳以上であったが、平成2年の全国会議に於て20歳以上と改正された。
18歳以上で、隊長が団委員会の承認を得て任命する。
団委員会において、スカウトの訓練を託するのに足る品性と経歴を有すると認められた者。
隊長より分掌を命ぜられた任務を行う。
日本連盟トレーニングチームの「副リーダートレーナー」の略語。
場合によっては「副リーダートレーナーコース」のことを意味する。/p>
日本連盟トレーニングチームの構成メンバー。
「副リーダートレーナーコース」を修了し、成人指導者訓練に携わるにふさわしい品性と経歴を有すると認められて委嘱される。
委嘱期間中に限り3ビーズのウッドバッジを着用することができる。
「スカウトハット」、「紺色のベレー帽」を副帽という。
ちなみに正帽は線色のベレー帽である。
ボーイ・ベンチャー・ローバースカウト及び指導者は副帽として、スカウトハットまたは紺色のベレー帽を着用することができる。ただし、スカウトの副帽着用についてはその隊の意向による。(平成2年に改正された。)
平成2年以前はスカウトハットが正帽、ベレー帽(色はスカウト指導者とも濃緑色または濃紺色)が副帽であった。また、婦人指導者に限っては、このベレー帽を正帽とし、緑、紺色以外に黒、白も用いることができた。
1927年(昭和2年)、実修所修了者の組織を教団と称し、不二健児蕃社と呼んで指導者実修所に付属させ、実修所修了者は蕃員と呼ばれた。
道府県には蕃社を組織し、蕃長を置いた。
この蕃社立団の精神は「団員相互の協力提携と不断の実行錬磨に依りて指導経営に関する研究進歩を図る」ためのものであった。
つまり、指導者実修所そのものは短期間の開設であるため、この期間だけでは実際に得るものは少ない。したがって、修了者は実地に精進する過程で指導者としての修行と実績を積まねばならない。指導系統を一貫し、連絡提携、協働切磋して実修の意義を貫徹させるという見地から、実修所修了者をもって組織したものであった。
佐野常羽氏は原始時代の人類の生活をスカウト教育に当てはめることを考えていたので、台湾の生蕃にヒントをおいて、蕃会を始めようと提案したものが全国的に組織を持つことになった。
不二健児蕃社が丸ビルの8階の一室に事務所を持っていたので、ここを通林「第八天国」と称してみんながここで勉強をした。
昭和30年7月に第1回1級スカウト富士特別訓練が日本連盟山中野営場で行われて以来、昭和44年第12回「年長隊富士野営」まで行われた。
プログラムはパイオニアリング、開拓伐採作業、調理法、救急法、読図、一泊ハイク、水泳、筏つくりなどが行われ、参加者は技能もさることながら、精神的な自信と自覚を得て、自己のスカウティングに明るい光を見いだす者が多かった。
現在、中堅で活躍している指導者には、この富士野営の経験者が多い。
単にフライともいう。
テント本体の上に、やや間隔をおいてかけ、二重屋根にする。
テント内の暑さや寒さを防ぎ、雨に対して絶対的な強さを発揮する。
本体のむねから10cm内外離すのが理想的で、屋根も接触しないように張らなければならない。
また、キャンプサイトでテント以外に雨除けや昼間の直射日光を避けるために食堂や炊事場に張るものは「フライテント」と呼ぶことがあり、フライシートを支柱に取り付けロープで張り、ペグで止める。
1907年にベーデンバウエルが20名の少年と共に実験キャンプを行った島。 ロンドンから南西約100km、ドーセットのプール湾にある。 |
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イギリス本島南のイギリス海峡に面したボーンマス(Bournemouth)の西にプール(Poole)という海辺の小さな町があります。 その湾内に平べったく浮かぶ島がブラウンシー島です。 ロンドンのウォータールー駅から鉄道を利用して、所要時間2時間ほどです。 |
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「ブラウンシー島」は、プール湾の湾内にあります。 | |
このあたり↑がベーデン・パウエルのキャンプ地 | |
[BROWNSER ISLAND MAP] | |
写真と説明の一部を、兵庫連盟[尼崎第3団のホームページ]にある |
ボーイスカウト日本連盟の先達。
明治30年6月27日、古田熊太郎の長男として和歌山市に生まれる。
若い頃、キリスト教徒となり洗礼を受けたが、父親から勘当された古田誠一郎は友人や先輩からお金を借りて神戸市中山手通り6丁目に三角形の家を借りた。
そこで焼芋屋を始めた。土曜日の晩になると遊びにきた近所の子供達を教会の日曜学校に連れて行った。
教会では宣教師のウォーカー氏と知り合い、イギリスのボーイスカウトのことを知った。
大正8年、古田誠一郎、ウォーカー氏らによって神戸ボーイスカウトが始まった。
大正11年、三角家の焼芋屋の前に1台の車が止まり、古田誠一郎は車に乗せられた。車の主は石橋為之介、神戸市長であった。「マツタケおばけのような帽子をかぶった青少年活動をやってもらいたいので、この家で生活しなさい。」と言って、門構えのすごい家に案内された。「いや、私は三角家の焼芋屋で結構です。」と断わったと言う。
大正12年9月1日11時57分に発生した関東大震災では、焼け野原をさまよう子供達のことを思い、矢もたてもたまらず、直ちに3,000人分のお菓子を用意すると、スカウトの制服を着用して船に乗り込んだ。東京で三島通陽を訪ね、指示を受けたのち上野公園などで子供達に配ることができた。
大正12年、ボーイスカウト年齢以下の少年達のために、ウルフ・カブの組織を作った。「須磨向上会ウルフ・カブ」と名付け、これが日本で始めてのウルフ・カブ(カブスカウト)であった。
昭和4年、第3回世界ジャンボリーに参加し、ベーデンパウエルと会見する。
昭和6年、聖ヨハネ学園園長に就任する。
昭和13年、イギリスのギルウェル実修所、少年部および幼年部課程を修了する。
昭和14年、アイスランドのレイキャビックにてベーデンパウエルと再び会見する。
昭和22年、大阪府高槻市市長に就任する。
昭和25年、ボーイスカウト日本連盟の総局長に就任する。
その後、ギルウェル実修所よりDCCおよびAKLに任命され、中央実修所所長に就任する。
昭和55年、ボーイスカウト日本連盟功労章「さじ章」を受賞。
古田誠一郎氏の愛称は「パーやん」。
第3回世界ジャンボリーに参加したとき、佐野常羽団長より派遣団の会計係を命じられた。会計係の故をもって、船の事務長の英語名パーサーに因んで「パーやん」と言うニックネームで呼ばれるようになった。
このニックネームを付けたのは、同じ派遣団の一員であった中村知氏であった。ベーデンパウエルに会見したことのある最後の日本人でもある。(平成4年12月3日逝去)
また、数多くのスカウトソングを作ったことでも有名である。
主なスカウトソングを列挙すると・・・・
「旗あげの歌」、「いつも元気」、「ぼくの名は金太郎」、「ジャングルブックの歌」、「世界の総長」、「森の野営」、「われらの旗」、「めざめよ」、「リュックサックの歌」などがある。
アルミパイプフレームに袋のついたリュックサック。
バックパッキングという言葉はこのフルフレーム・パックを意味するほどで、いわばバックパッカーのシンボル。
この特長は経験や工夫の必要がなく、誰にでもパッキングが簡単にでき、歩きやすいことにある。
小グループによる問題解決の方法あるいは創造性開発の技法。
アメリカのオズボーンの創案した方法で、次のようなルールがある。
・ 一人一人が順に自由奔放に自分のアイデアを出す。
・ 出たアイデアは絶対に批判してはならない。
・ できるだけ多くのアイデアを出す。
・ 他人のだしたアイデアを改善・発展させる。
これらのルールの元で、思い付くままにアイデアを出し合い、その中から話題性の大きなものの実現を図っていく手法である。
通常ボーイスカウト以上の隊では、プログラムは毎年9月を出発の月として、翌年8月が最高潮になるようなプログラム編成を行う。
これをプログラム年度という。
ふつう、年度というと、4月に始まり翌年の3月に終わるのが多いが、スカウティングは9月から8月というように、9月からスタートした訓練を積み上げたものが翌年8月の夏期キャンプで最高潮になるようにするためである。
平成2年度よりカブスカウト隊でも9月を出発の月として、翌年8月までのプログラム年度が採用された。
プログラムを企画・立案、実施・展開していく過程。
W.E.Deming の提唱する方法は、綿密に計画を立て(PLAN)、勇断をもって実施し(DO)、その結果を評価・反省し(SEE)改善を行い次の計画へと進む。
これをP.D.S.法と呼んでいる。
企画、計画、研究課題のこと。
プロジェクト法(Project Method)は、キルパトリックが提唱した問題解決学習法の一種であり、ボーイスカウトの進歩制度や訓練は、このプロジェクト法によっている。
目的設定 → 計画 → 美行 → 評価 の段階がある。
野営期間中の個人プロジェクトを行う時間のこと。
キルパトリックが提唱した問題解決学習の一種で、ボーイスカウトの訓練は、このプロジェクト法によっている。
(1) 目的設定 → (2) 計画 → (3) 実行 → (4) 評価
プロジェクトを展開するために作られた特定の組織。
シニアスカウトの(企画)委員会がこれに当たる。
例・・・冬将軍委員会・・・・冬山登山とボブスレー
プロジェクトチームには、以下に示す運営の原則がある。
1.目的課題の明確の原則
2.意志決定明確化の原則
3.リーダーとメンバー決定の原則
4.最適能力編成の原則
5.権限付与の原則
6.二重籍管理の原則
7.チームの仕事優先の原則
8.本籍地評価の原則
9.締切時間設定の原則
10.チーム解散の原則
全国都道府県を北海道・東北、関東・東京、北信越・東海、近畿・大阪、中国・四国、九州・沖縄の6ブロックに分け、ブロック内の県連盟が連絡調整に関する事項について協議する会議。
ボーイスカウトの団内に同種の隊が増えたため、その1こ隊を抽出し、これを基幹として新しい団を設立すること。
分封と間違えやすい例として、既にカブ隊2こ隊を有する団に、さらにカブスカウトが増えて、CS第1隊、第2隊の定員を超過したため、団内に第3隊を作る代わりに、これらの超過人員を受け入れて新しい団を作った場合、これは隊を動かさないので分封とはいわない。