ロープの端に、ロープのよりをもどしながら輪(Eye)を作る方法。
戸外で行うゲームのこと。
アウトトアーケームを実施するに当たって、ゲームのルールをよく説明しておくこと、危険なところがないかよく調べておくこと、スカウトの体力を考慮すること、スタート・終了の合図は明確にすること、スカウトが気に入って夢中になったとしても長時間実施せず、まだ熱がさめない間にゲームを終了すること。 またゲームの内容にあった楽しい導人のお話をすれば、さらにゲームは楽しいものになる。そして、ゲームの中に進歩につながる要素を取り人れるよう配慮すること。
「スカウティングはゲームである」(B・Pの言葉)忘れてはならない、すばらしい教育理念である。ゲームをゲームとしてだけ扱っていないか。もう一度考え直してみることが必要てある。
動作のついた歌のこと。歌に合わせて身振り、手振りで動作をする。
リズム感を養い、適度な運動になる。スカウトのアクションソングの始まりは、ベーデンパウエルがブラウンシー島での実験キャンプの時、ズールー族の踊り「エンゴンヤーマ」に始まったと考えられる。
キャンプファイヤーでは「ゴンベさんの赤ちゃん」「大きな栗の木の下で」「おたまじゃくしはかえるの子」などがアクションソングとして親しまれている。
障がい児スカウトのキャンプ大会。
第1回の国際大会は1958年オランダで開催され、アグーン(Agoon)と呼ばれたがその後は、アグーナリーと呼ばれるようになった。
ギリシヤ話のAgoon(集会、競技場の意味)からきた言葉で、ボーイスカウト用語としては「一国あるいは数カ国の障がいスカウトが集まって開く大会」のこと。ジャンボリー(JAMBOREE)
やキャンポリー(CAMPOREE) のようにOREEをつけてアグーナリー(AGOONOREE)と呼ぶようになった。
回 | 開催期間・場所 | テーマ | 参加者 |
---|---|---|---|
第1回 | 昭和48年8月17日~20日 愛知県立愛知青少年公園 |
かぎりなく、はばたこう | 200名 |
第2回 | 昭和51年7月30日~8月3日 愛知県立愛知青少年公園 |
のりこえよう大地をふんで | 336名 |
第3回 | 昭和54年8月3日~7日 大阪市長居公園 |
のりこえよう大地をふんで | 660名 |
第4回 | 昭和58年8月5日~9日 兵庫県立嬉野台生涯教育センター |
のりこえよう大地をふんで | 972名 |
第5回 | 昭和62年7月31日~8月4日 静岡県御殿場市国立中央青年の家 |
のりこえよう大地をふんで -富士のふもとで元気にはばたこう- |
989名 |
第6回 | 平成3年7月25日~29日 国立オリンピック記念青少年総合センター |
のりこえよう大地をふんで -ぼくらがつくる、ぼくらの未来- |
851名 |
第7回 | 平成7年7月26日~30日 国立妙高少年自然の家 |
広がる夢 友情の輪 | 880名 |
第8回 | 平成11年8月5日~9日 愛媛県松山市野外活動センター |
広がる夢 友情の輪 -あいことばは“We can"- |
1,143名 |
第9回 | 平成15年7月31日~8月4日 石川県珠洲市「りふれっしゅ村 鉢ケ崎」 |
広がる夢 友情の輪 -あいことばは“We can"- |
1,252名 |
第10回 | 平成20年7月31日~8月4日 兵庫県神戸市・しあわせの村」 |
WeCan! あなたといれば… | 1,078名 |
第11回 | 平成24年8月2日~8月6日 滋賀県 希望が丘文化公園 |
WeCan! あなたといれば… | 717名 |
イギリスの文豪ラジャード・キップリングの著書「ジャングルブック」に登場するおおかみたちの頭領(Boss wolf)。
ベーデンパウエルがジャングルブックを背景としてウルフカブを始めたとき、力ブ隊の隊長をアケーラと
呼んだ。今でもカブ隊長のことをアケーラという国がある。
1922年から1927年まて、イギリスのギルウェルパークで実施されたカブコースのウッドバッジ訓練の修了者に授与されたおおかみの牙や爪。修了者は1個、カブコースの実修所所長は2個を着用した。その後、ウッドバッジビーズに代わった。
1962年(昭和37年)8月3日~8日まて静岡県御殿場市の富士山麓で間催された。
第3回日本ジャンボリーを兼ねて日本連盟・静岡県の主催及ひ文部省・厚生省の後援で26,181人(国内から25,583人)が参加した。
お国自慢大会、鼓隊演奏競技、ラッパ鼓隊模範演奏、ブラスバンド、ドリル、障害物競走、腕試し、開拓、クロスカントリー、柔道、剣道、登山、ハイキングにと、盛りだくさんのプログラムの中で、スカウトたちは友好親善の数々を自ら体験した。
現在売り出されているザックの主流となっており、縦に長く、ナイロン製のものが多い。アタックザックは背負ったとき、重心が比較的高い位置にくる。
また、ウエストベルトがつけられ、肩の受ける荷重を減少させることができる。これが背負いやすい理由の一つである。
正確には「世界成人資源方針」(World Adult Resources Policy)という。 スカウティングに携わる指導者の人材開発と人材管理を改善し、21世紀の青少年に質の高いプログラムを提供するために質の高い指導者の確保と育成が目的である。
透明で民主的な人材確保や育成のシステムを構築するためにスカウティングのすべての分野でこの方針を展開していくことが決定され、種々の導入計画があるが、トレーニングチームやコミッショナーを手始めに順次隊指導者へと導入されていく予定である。
この方針の導入のため、日本連盟の常設委員会に「アダルトリソーシス委員会」が新しくできた。
アダルトリソーシス方針の展開例を示すと、
斧のこと。アックスには柄の短い「手斧」と、柄の長い「両手斧」がある。 日本で伝統的に使われてきた斧は「まさかり」と呼ばれ、柄の部分がまっすぐに作られていものが多い。外国製の斧の柄にはカーブがつけられているものが多い。
スイス製のアクドールアックスが有名である。アックスを使用するときは、柄が抜けないか、振り回しても差し支えないか、自分の回りをよく確かめる。地面に放置しないこと。
また、切れにくい刃物ほど危険なものはない。常によく研いで手人れをしておくことが必要である。アックスを研ぐ時は、まず荒研ぎ用の砥石を使うか、グラインダーを使用する。グラインダーはあまり長く使うと摩擦熱で焼きがもどることもあり注意が必要である。
元来、ラテン語が英語になったもので、分科会とか特別委員会の意味であるが、スカウト用語では、特別作業チームという意味に使われるので、正式には、アド・ホックチームである。
シニアー隊の企画委員会の実施部隊に当たり、シニアー、ローバーの段階で作られる。
このアド・ホックは、作業が終われば解散し、恒久的なものではなく、あくまで臨時的なものである。
特別作業チームや企画委員会のことを指す。
興味や好奇心をそそる思いがけない経験や冒険のこと。
「アドベンチャーキャンプ」「アドベンチャーハイク」「アドベシチャートレイル(Trail=追跡)」などのように用いる。
主として、ベンチャー(シニアー)スカウトを対象に、冒険心を満たし、移動を伴うキャンプのこと。
ベンチャーキャシプ(Venture Camp)ともいう。
キャンプの終わった後のこと。
夏期キャンプが終わるとスカウトも指導者も何となく、今年の山場を終えたという気持ちになりがちである。
スカウト活動という長い流れの中で考えると、夏期キャンプは一つのプログラムであり、そのプログラムが一つ終わったに過ぎない。
すぐに次のプログラムに取り組むよう、スカウトも指導者も気を抜かず努力しなければならない。
キャンプが終わって、ホッとした頃のことをいう。
ジャンボリーやキャンポリー、野営大会などの会場内の広い演技場のこと。
第12回日本ジャンボリーで「アリーナ」に集まるスカウト
1909年、霧にとざされた冬の夕ぐれ、ロンドン郊外の駅に、一人の紳士が、地図と旅行カバンを持って、汽車から降りた。紳士は行く先がわからなくて困っていた。キビキビした少年が現れたので、紳士は道をたずねた。少年は「私が案内しましょう」とカバンを持ち先に歩いた。目的地に着いたので、紳士は、銀貨を出しチップとして少年に与えようとした。少年は「私はボーイスカウトです。お礼はいただきません。私に一日一善をさせて下さってありがとう」とニッコリしてヤミの中に消えた。
どこの国の少年も、こんな時は喜んでチップをもらうのに、それを断り、逆に礼をいって立ち去るとは・・・紳士は驚いた。ボーイスカウトだから、といったが、それは何であろう。友人に聞くと、パウエル卿が、昨年はじめてつくった少年運動だと答えた。
紳士は米国人のボイスという有名な出版業者だった。ボーイスカウトについての書物を全部買って、米国に帰り友人と話し合い、スカウト運動がアメリカに発足したのは、1910年2月8日のことであった。
15年後には、全米にこの運動がひろまり、その数は百万人を越した。米国スカウトは、その功労者を表彰することになって、いろいろ考えてみると、第一は、ボイスを案内した英国少年だということになり、英国スカウト本部に頼んだり、人を派遣したりして捜してもわからない。名乗ってほしいといっても出ない。それで米国側では、協議のすえ、米国スカウト功労賞のバファロー(野牛)の形と同じ型の銅像を作り「日々の善行を努めんとする一少年の忠実が、北米合衆国にボーイスカウト運動を起こさせた。アンノン(名の知れざる)少年のために」と書いて、贈ることになった。
1926年6月4日、ギルウェルの森(これはボーイスカウトのメッカであり、指導者訓練の総本山の道場ともいうべきところ)で厳粛に、贈呈式が行われた。その銅像はいまでもギルウェルにある。同時に、シルバー・バッファローという功労賞をつくり、その第1号をベーデンパウエルに贈り、第2号をこの無名スカウトに贈った。
太平洋戦争も末期のころ、南太平洋の、小さな島で、日米両軍が死闘を繰り返していた時、重傷で倒れた米兵の目に、一人の日本兵が銃剣で突っ込んでくるのが見えた。重傷で動けず、目を閉じたら、気を失ってしまった。
やがて気づくと、日本兵はおらず、そばに紙切れがあった。
米国赤十字に助けられてからその紙切れを読むと、「私は君を刺そうとした日本兵だ。君が三指礼をしているのをみて、私も子供の時、スカウトだったことを思い出した。なんで君を殺せよう。傷は応急処置をした。グッド・ラック。」と英語で書いてあった。
その米兵はスカウトだったので、無意識に三指礼をしていたのである。この時の無名日本のスカウト戦士はいまだにわからない。
のちにこの話が伝わり、日本中のスカウトの募金運動にまで発展し、当時の久留島秀三郎日本連盟理事長らが中心になって、無名のスカウト戦士の記念碑ができあがった。この像は、神奈川県の「子どもの国」に建てられ、いまもなお、訪れる人々に日米両国スカウトの美しい友情を伝えている。
※埼玉県連盟川越第3団、東京連盟町田第19団のご協力に感謝します。