ベーデンパウエルの夫人。 レディB-P。 オラブ・レディ・ベーデンパウエル。
フルネームはオラブ・セントクレア・ソアムス(Olave St.Clair Soams)
1889年(明治22年)2月22日生まれ。 イングランドのチェスターフィルドの郊外で、ソアムス家の二人の兄姉をもつ末娘として誕生した。
父のハロルド・ソアムスは醸造家であり、また芸術家、建築家であった。
この父は若くして、その経営を人に託し、自分の優雅な趣味の生活と、子女の教育のために後半生を投入し、幸福な家庭をつくることに専念した。
ベーデンパウエルが夢の中で、聖ペトロの啓示で日本訪問を決意し、アメリカ訪問の後、日本を訪問すべく、1912年1月3日、客船アルカディアン号に乗った。
オラブは父と共に、西インド諸島を巡航するため、このアルカディアン号に乗っていた。ベーデンパウエルは、船上でミス・オラブ・ソアムスを紹介され、一目で好意をもった。そして二人とも2月22日の誕生日であることも奇縁として毎日甲板場で明けても暮れても語り尽くした。
1912年10月30日に二人は結婚式をあげた。
ベーデンパウエルは55才、オラブ・ソアムスは23才であった。
その後、ガールスカウトのワールドチーフガイドとなり、1964年には日本を訪問した。
各種の優勝カップは、優勝者や優勝チームが保管し、次の大会で返却するのが普通である。
そのとき優勝カップを模写した複製を記念品として贈呈される。この複製品をレブリカという。
ボーイスカウトのキャンプで、毎日、優秀班を決めて優秀綬を渡すような場合、優秀綬を返却した時に、このレプリカとして班旗に付けられるような物を記念に渡すようなことがある。
スカウトが国旗の取り扱いを学ぶときは、本物の国旗を用いるべきでなく、掲揚、降納、格納の方法を練習する場合、練習用に特別に作った白旗(白い布地)を用いるのが普通である。
これを練習旗という。
「花は薫るよ」 〔葛原しげる 作詞・山田耕作 作曲〕
(副題)少年団団歌 ボーイスカウト日本連盟歌 (JASRAC作品検索より)
1924年(大正13年)に正式に採用された。