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毛利元就寿像/山口県豊榮神社蔵
戦国の武将、毛利元就が郡山城(広島県吉田町)を拡張して全山を城郭とした際に姫丸壇の基礎工事が難工事となり、時の普請奉行が人柱をたてることに意を決していた。
しかし元就は、先祖野見宿弥が埴輪によって殉死にかえた故事にならい、尊い命を失うべくでないことを諭し、高さ6尺、巾2尺(高さ1.8m巾0.6m)の巨石に「百万一心」と書き、それを彫らせて埋めさせ人柱に代えた。
その意味は、百の字は一画を省き「一日」とし、万の字は故意に略字(今様に表現すれば誤字)を用いて「一力」と表現した。これを分解して読めば「一日一力一心」とも読める。即ち「一」の字は同じの意味であるから、日を同じくし、力を同じくし、心を同じくして全員一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられる。人柱を建て、民を失う必要はないと、この石をもって協力の大切さを教えられたものである。
毛利家第32代元道氏書色紙より頂いて、ボーイスカウト山口県連盟広報誌で使用しているもの。
一方これを「百万一心」と読んだ場合には、百万の(民の)心を同じく(一つに)して一致協力して事にあたれば何事でも成し遂げられると解釈できる。このように、一般には「百万一心の碑」と言われているが、元就が一つの石碑の文字に、二つの意味を同時に込めたものとも伝えられている。
これらから、石一個をも無駄にしないという、元就の人生観が伝わってくるとは思いませんか。
ボーイスカウト山口県連盟広報誌のタイトルで使用している「百万一心」の文字は、毛利家第32代元道氏(号:南堂)の筆によるもので、創刊号(平成元年1月22日)発行に際し、元道氏書色紙より頂いたものである。
山口県連盟広報誌のタイトルを「百万一心」とした詳しい経緯は記録にありませんが、元就の質素倹約をむねとし、人民一致協力の大切さを説き、かつ、「百万一心」の4文字に込められた意味が、スカウト運動の根幹に通ずるものがあるとして採用されたものと思われます。
右の写真の碑は、 長州藩士武田泰信が山口市にある豊栄神社に奉納した拓本から、昭和6年に吉田町郷土史調査会が郡山城跡内に復元建立したもの。 山口県連盟がジャンボリーなどの大会時に使用している「のぼり」の書体で使用しています。